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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和56年(ネ)53号 判決 1985年10月31日

控訴人

有限会社ストアーわきだや

右代表者

楊忠銀

被控訴人

楊雲茂

被控訴人補助参加人

楊忠健

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

(控訴人)

一  原判決を取消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人、被控訴人補助参加人)

主文同旨。

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次に付加するほか、原判決事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、同二枚目裏の上欄二行目の「昭和50年12月20日」を「昭和50年12月20日には」と訂正する。」)。

一  控訴人の主張

1(一)  原判決は、有限会社の設立時における社員とは、事実上会社の設立に参画すると否とを問わず、また設立に当たつて現実に出資したか否かを問わず原始定款に社員として署名捺印(以下単に「署名」という。)した者であり、原始定款の確定により社員たるべき者も確定すると判示する。

(二)  確かに、原判決の判示するように、有限会社の場合、株式会社と異なり引受行為や失権手続の規定は設けられていないが、このことから直ちに原始定款に社員として署名した者が全面的に社員としての権利を取得し、義務を負うと断ずるのは早計である。

すなわち、有限会社は、社員の責任が有限であり、物的会社とされているが、株式会社より設立の際の法規則が緩やかになつている点から考えれば、有限会社における社員の確定は原始定款への署名という明確な形でなされるのが妥当であり、また、有限会社における会社への現物出資、財産引受の填補義務者(有限会社法一四条)、払込及び給付未済の出資についての填補義務者(同法一五条)も形式的に原始定款への署名により確定するのが会社に対する関係の明確化の要請には適うと思われる。しかしながら、これは社員として原始定款に署名した者に対し、会社に対する責任を課し、出資に見合う実質的な会社財産の充実を図り、有限会社組織の物的会社としての内実を確保し、会社ひいては会社債権者の保護を図ることを目的とするものである。従つて、社員として原始定款に署名した者が、会社から填補義務の履行を求められた場合に、単に名目上の社員であるとの理由で履行を拒否することは許されないというべきである。

これに対し、社員として原始定款に署名した者の中でも、単に名目上の社員と実質的な社員が存在している場合には、実質的社員が名目上の社員に対し、社員権の存否または帰属を争うときにも、形式的に署名のみで社員資格を決定しなければならないとする合理的理由はないものというべきである。すなわち、一般私法上の法律行為の原則からすれば、名義のいかんを問わず、真に法律行為の効果意思を有する者が法律行為の当事者であるところ、会社の集団的法律関係の画一的処理の要求、会社の資本充実の要請から会社が社員に対し何らかの請求をする場合、社員として原始定款に署名している者を社員として扱えば足り、それにより会社は免責されるが、一般私法上の法律行為の原則の修正は、会社特有の右事情、すなわち、集団的法律関係の画一的処理の要求、資本充実を満足させる限度でなされれば足り、それ以上に及ぶ必要はないものというべきである。そうだとすると、社員として原始定款に署名している者の間で、真の社員権者は誰れであるかを争う場合には、定款への署名という形式面のみで判断すべきではなく、実質的関係に基づきこれを決定すべきである。そして、会社設立の便宜上、実質社員として活動しようとする者から、社員として定款に署名すべく要請を受け、これに応じて自らの計算では何ら社員として行動する意思のない者が便宜的に定款に署名するといつたことは世上よく見られるところであり、このような場合は単に会社設立の必要上名義社員とする趣旨にすぎず、右当事者間では、名義を貸した者を対会社関係において真に社員とするものではないから、実質的関係ではすべての権利が名義を借りた者に帰属することになる。本件では、控訴人の代表者である楊忠銀のみが出資者、かつ、社員であり、右忠銀以外の原始定款への署名者は名義上の社員であつて、控訴人には右忠銀以外に実質的な社員としての資格を有するものはいないというべきである。

2(一)  原判決は、昭和五〇年八月一四日の和解契約による合意を認定したうえ、被控訴人の辞任、楊鈿宋らの退社と甲物件の譲渡引渡とが同時履行の関係にあつたとの被控訴人の主張を再抗弁として取り上げてこれを採用しているが、右の主張が原審において被控訴人からなされたか否かは極めて疑わしく、これを再抗弁として取り上げた原判決は弁論主義に違反するものである。

(二)  原判決は、昭和五〇年八月一四日の和解契約は甲物件の譲渡引渡と被控訴人が控訴人の代表取締役兼取締役を辞任することが同時履行の関係にあつたと認定し、被控訴人の右辞任の意思表示は未だ効力が生じていないと判示する。

しかしながら、同時履行の抗弁権は、相互に対価的、対立的債務を負担する双務契約における各債務の履行の調整を図るものである。従つて、合意が成立することにより直ちに法的効果が発生し、一方の当事者に履行すべき債務がなく、相互に対立する債務が生じないときは、はじめから同時履行の抗弁権が生ずる余地はない。

ところで、被控訴人の代表取締役兼取締役の辞任、被控訴人・楊鈿宋・楊國雄・楊武雄・楊美英の社員権の楊忠銀に対する譲渡は、意思表示のみにより権利移転の効力が生じ、合意に基づく対価の支払すなわち甲物件の譲渡引渡の事実の有無が右権利移転の効力に影響を及ぼすことはないものというべきである。従つて、右合意の存在を認定した以上、同時履行を理由に、被控訴人の辞任の意思表示の効力が未だ生じていないとした原判決の判断は誤りである。

(三)  原判決は、右和解契約において、楊鈿宋・楊國雄・楊武雄・楊美英は退社もしくは全持分を楊忠銀に譲渡して社員であることをやめる旨の合意が成立したと抗弁欄に摘示している。しかしながら、右和解契約では、被控訴人の持分も楊忠銀に譲渡して社員であることをやめる合意が成立したものである。従つて、右和解契約により、控訴人の社員権は、楊忠銀九九五口、堀之口隆子五口となつた。そして、堀之口隆子は控訴人の設立以来社員権の行使に全く関心を有しておらず、楊忠銀にその権利行使をほとんど一任している状態であつたので、楊忠銀は自らの社員権九九五口及び堀之口隆子の有する五口の社員権に基づき楊壽美を取締役に選任し、また楊壽美との取締役会により楊忠銀を代表取締役に選任したものである。

3(一)  被控訴人補助参加人楊忠健は昭和五五年六月五日付書面で被控訴人を補助するためと称して参加申出をしているが、元来、補助参加制度は補助参加人の利益を保護することを目的とし、被参加人の利益を保護することを目的とするものではないから、被参加人において補助参加すべき者に参加することを促したり、請求したりする権利は法律上認められていない。しかるに、右補助参加人楊忠健は被控訴人から補助参加することを促されたか、自ら買つて出て補佐人もしくは代理人としての訴訟行為をなすべく参加申出をした違法行為がある。従つて、楊忠健は補助参加申出に際し、本件訴訟物である権利または法律関係の存否いかんを前提として訴訟の結果につき利害関係を有する第三者といえるかどうかについては疑問があり、楊忠健を本件で補助参加人として訴訟行為をなすことを認めるべきではない。

(二)  揚忠銀は、控訴人設立以来、実質上の経営者としてその事業を遂行し現在に至つているものであるが、その経営につき密かに快しとしない補助参加人楊忠健が控訴人の名目上の社員にすぎない被控訴人、楊鈿宋、楊國雄、楊武雄、楊美英らを虚言もしくは強要等の方法をもつてそそのかし控訴人の経営を混乱させ、あまつさえ会社を乗つ取り楊忠銀、壽美夫婦が汗水流して築き上げた控訴人名義の資産を奪取処分し、恣しいままにしようとしているものである。

4  被控訴人の後示自白の撤回に異議がある。

二  被控訴人の主張

被控訴人は、原判決事実摘示の抗弁、すなわち、昭和五〇年八月一四日の和解契約の成立を認めると陳述したが、右自白は真実に反し、かつ、錯誤に基づくものであるから、これを撤回し、右事実を否認する。

すなわち、昭和五〇年八月一四日被控訴人の末子楊忠平の初盆に当たり、被控訴人一族の者が集まつたのを機会に、かねてより控訴人の運営をめぐり被控訴人と楊忠銀との間に抗争が絶えないので、それを憂慮した楊武雄の発意によりその解決のため、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、楊忠健(補助参加人)、楊忠和が出席していわゆる家族会議を開いたが、右会議に被控訴人を出席させると、話がまとまらなくなるので、被控訴人をこれに出席させず、家族で話合つた結果を楊國雄、楊武雄らから被控訴人に伝えてこれを承諾させることにした。そして、長時間協議の結果、「(一)被控訴人を会長にする。(二)被控訴人が代表取締役を辞任するときは退職金を支出する。(三)楊國雄、楊武雄の持分二〇〇口を楊忠銀に売却し、その代償として宇宿町三七六番の建物を被控訴人に返し本店のストアーわきだやに対する負債を帳消しにする。(四)宇宿町三七六番及び地上建物に設定した担保を一年以内に抹消する。」との話合がおおむねまとまつたので、楊武雄においてこれをメモ書きし(甲第二二号証参照)、楊忠銀に認印を求めたが、忠銀は何故かその押印を拒否して、右協議結果に従わない旨を表明した。よつて、控訴人主張の和解契約は成立していないものであるが、原審における被控訴人の訴訟代理人が錯誤に基づき右主張を認めると陳述したものである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一1  控訴人は昭和三九年九月一四日設立登記された資本の総額金一〇〇万円の有限会社であり、楊忠銀を除くその余の社員が控訴人の社員であるかどうかの点は別にして、右設立時の社員構成が被控訴人(三〇〇口)、楊鈿宋(二四五口)、楊美英(一〇〇口)、楊忠銀(一五〇口)、楊國雄(一〇〇口)、楊武雄(一〇〇口)、堀之口隆子(五口)と、その役員が取締役(代表取締役)被控訴人、取締役楊忠銀、監査役楊鈿宋となつていたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一一号証(控訴人の原始定款)及び弁論の全趣旨によると、被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、堀之口隆子の七名は、昭和三九年八月三一日付で、目的を衣料品・食料品・日用品等の販売、資本の総額を金一〇〇万円(出資の一口の金額を金一、〇〇〇円とする一、〇〇〇口)、社員を被控訴人(出資口数三〇〇口)・楊鈿宋(出資口数二四五口)・楊美英(出資口数一〇〇口)・楊忠銀(出資口数一五〇口)・楊國雄(出資口数一〇〇口)・楊武雄(出資口数一〇〇口)・堀之口隆子(出資口数五口)、役員を取締役(代表取締役)被控訴人・取締役楊忠銀・監査役楊鈿宋とする有限会社ストアーわきだや(控訴人)の原始定款を作成したうえ、これに記名押印したことが認められる。

ところで、有限会社における社員は、社団設立行為として入社契約(合同行為)たる性質を有する会社設立の意思表示をなす者であるが、それは要式行為として、原始定款に社員として署名(または記名押印―有限会社法八七条)することを要し、その署名者のみが社員となるのであつて、たとえ事実上会社の設立に参画し、出資金を拠出した者といえどもこれに署名しない者は法律上有限会社の社員ということはできず(大判昭和三・八・三一民集七巻七一四頁など参照)、定款の確定によつて同時に社員及びその出資義務も確定するものと解すべきである。けだし、有限会社の設立においては、社員となるべき者が、目的、商号、資本の総額、出資の一口の金額、社員の氏名及び住所、各社員の出資の口数並びに本店の所在地を記載した定款を作成しなければならず、社員となるべき者が右定款に署名(記名押印)することによつて社員が確定するのみでなく、その出資義務ないし資本も確定するのであつて(株式会社におけるのと異なり、定款の作成と別個の社員による出資の引受行為を必要としない。)、定款の作成と出資の引受行為が結合しており、出資金額の払込を証する書面の添付は有限会社設立の登記申請に必要とされる(商業登記法九五条二号)が、設立時に出資の履行がなされなくとも、株式会社の募集設立の場合のような失権手続(商法一七九条)をとることは認められておらず、定款に社員として署名(記名捺印)した以上出資義務を免れ得ないこととされているからである。

そうすると、前記認定のとおり控訴人の原始定款に記名押印した被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、堀之口隆子の七名は、前示入社契約の意思表示たる右記名押印行為が詐欺、強迫、錯誤等の意思表示の瑕疵や意思の欠缺など特段の事情がない限り、控訴人の設立時における社員ということになる。

2  これに対し、控訴人は、その設立に当たつて出資した者は楊忠銀一人であり、実質的な社員は楊忠銀のみであつて、定款に記名押印しているそれ以外の社員は有限会社の設立手続の便宜上これに記名押印した名目上の社員にすぎないと主張し、当審における控訴人代表者本人はこれに符号する供述をするが、右供述は後掲各証拠に照らしにわかに措信難く、他に控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。それのみならず、前示のとおり、そもそも控訴人主張のようにたとえ楊忠銀が全額を出資し、出資者が同人のみであるとしても、定款にその旨を記載し、署名しない以上、同人が定款に記載、署名した出資口数一五〇口の社員であることが確定し、法律上、同人がこれ以外の出資口数の原始社員であるとはいえないものである。

また、かえつて、前記1前段の認定事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、<証拠>中この認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信し難く採用できない。

(一)  被控訴人及びその妻楊鈿宋は、昭和二一年頃、鹿児島市郡元町五九一番地に店舗を構え、脇田屋呉服店の商号で、衣料品及び日用雑貨の販売業を始め、昭和三四年六月頃には同市宇宿町に支店(以下「宇宿支店」という。)を設けるなど順調に営業の拡大を図るとともに、楊美英、同忠銀、同國雄、同武雄、同忠健、同忠和、同広美、同覚美、同忠平ら九人の子を養育してきた。

(二)  被控訴人夫婦の長男である楊忠銀は、昭和三四年三月大学を卒業した後、被控訴人の経営する脇田屋呉服店の本店、支店の営業を手伝つてきたが、昭和三六年頃楊壽美と結婚し、右結婚後、楊忠銀夫婦は右呉服店の本店、支店の営業に従事し、被控訴人から、必要な都度生活費等の支払を受けるなどして生計を維持してきた。

(三)  鹿児島市宇宿町一帯では、昭和三六年頃から都市計画事業が施行され、被控訴人経営の宇宿支店は右事業のため移転を余儀なくされた。そこで、被控訴人は、昭和三八年頃から右支店付近の鹿児島市宇宿町三七六番一の土地所有者である斉野恵太郎の父親斉野伊平(以下「伊平」という。)との間に売買交渉を進め、昭和三九年二月二四日頃斉野恵太郎の代理人伊平との間に右土地に関する仮換地のうち五〇坪を代金三〇〇万円で買受ける売買契約を締結し、同日手付金二〇万円を伊平に支払つたほか、同年四月一九日頃までに残代金二八〇万円を伊平に完済した。

そして、斉野恵太郎は、同年四月二一日右仮換地五〇坪に相当する土地として鹿児島市宇宿町三七六番一の土地から同三七六番七、宅地六六坪一合二勺を分筆登記したうえ、右三七六番七の土地につき同年六月五日受付で同年六月三日売買を原因とし、被控訴人を権利者とする所有権移転登記を経由した。

なお、右三七六番七の土地については、昭和四八年三月四日土地区画整理法に基づき鹿児島市宇宿三丁目二七番四、宅地一六五・三〇平方メートル(以下「宇宿の土地」という。)が換地処分された。

(四)  被控訴人は、右買受けた土地に店舗を建築して脇田屋呉服店の宇宿支店を移転すべく、昭和三九年六月三日頃平峰純吉との間に、木造セメント瓦葺二階建、店舗兼共同住宅、床面積一、二階共各一三九・七八平方メートルを代金三二八万円で建築する旨の請負契約を締結した。そして、右建物の建築は同年八月三一日頃完成した。

(五)  被控訴人及びその下で働いていた楊忠銀は、右建築中の建物で、衣料品、食料品、日用品等の販売をスーパーマーケット方式で営むべく準備を進めてきたが、昭和三九年八月初め頃知人の慶田實から法人組織で右営業を行なうように勧められた。そこで、被控訴人は、妻楊鈿宋及び長男楊忠銀らに計つたうえ、税務対策と、楊忠銀をはじめとする子供らの将来のため右店舗を有限会社組織で営業することにした。

そして、被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、堀之口隆子(被控訴人経営の脇田屋呉服店の従業員)の七名は、同年八月三〇日成立前社員総会を開いて、取締役に控訴人及び楊忠銀を、代表取締役に被控訴人を、監査役に楊鈿宋を各選任し、法人成による法人設立までの脇田屋呉服店の宇宿支店の収支一切を有限会社ストアーわきだや(控訴人)に帰属させるものとするとの決議をしたうえ、同年八月三一日付で前記1前段認定のとおり有限会社ストアーわきだや(控訴人)の原始定款を作成し、これに全員が記名押印し、更に、右設立中の会社において、同日付で被控訴人が前記建物の建築請負人平峰純吉に支払を済ませていた金一〇〇万円を出資金に振替えることにして出資金全額の払込を完了させた(ただし、右金一〇〇万円は、被控訴人夫婦及び楊忠銀夫婦らの家族が相寄つて営んできた脇田屋呉服店の収益の中から出捐されたものである。)。

その後、右設立中の会社は、同年九月一四日設立登記を経由し法人格を取得して控訴人となり、被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、堀之口隆子が控訴人の社員となり、また、被控訴人は控訴人の取締役兼代表取締役に、楊忠銀は控訴人の取締役に、楊鈿宋は控訴人の監査役にそれぞれ就任した。

(六)  控訴人は、その設立後、前記(四)の建物(以下「宇宿の建物」という。)につき控訴人が建築資金を出捐して建築した会計処理を行ない、昭和三九年一一月九日所有者を控訴人とし、鹿児島市宇宿町三七六番地一、家屋番号三七六番一、木造セメント瓦葺二階建、店舗兼共同住宅、床面積一階一四一・一六平方メートル、二階一四〇・三〇平方メートルの建物として表示登記を経由したが、その後、右建物については、昭和四八年五月一四日付で所在を鹿児島市宇宿三丁目二七番地一、家屋番号二七番一とする変更登記がなされた。

(七)  被控訴人は、控訴人設立後、楊忠銀を専務として同人にその経営を一任し、時折出社して同人や控訴人の従業員から経営、会計報告を受け、それに指示を与えるにとどまつていた。

このように認めることができ、右認定事実によれば、控訴人は、被控訴人がその家族の手助を得て個人経営してきた脇田屋呉服店の宇宿支店を被控訴人がその収益金等個人財産から自己の出資金及び妻子の出資金(この出資金相当金は妻子に贈与する趣旨で)を拠出し、これが、いわゆる法人成りした同族会社であると認めるのが相当であつて、もとより楊忠銀一人が全額出資してこれを設立したものでもなく、また楊忠銀の個人企業でもないのであつて、法人として実在する有限会社であるというべきであり、かつ、被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊忠銀、楊國雄、楊武雄、堀之口隆子はいずれも控訴人設立時の社員であると認めるのが相当である。

二昭和五〇年一二月二〇日には被控訴人が控訴人の代表取締役及び取締役を辞任したことがないのに、控訴人の商業登記簿に、被控訴人が昭和五〇年一二月二〇日代表取締役及び取締役を辞任した旨の登記が同年一二月二五日付でなされていること、控訴人の商業登記簿には、同年一二月二〇日招集された臨時社員総会で楊壽美を取締役に選任する決議がなされたとして、また、同日招集された取締役会で楊忠銀を代表取締役に選任する決議がなされたとして、いずれもその旨の登記が同年一二月二五日付でなされているけれども、右臨時社員総会及び取締役会が開催されていないことはいずれも当事者間に争いがない。

三控訴人は、昭和五〇年八月一四日被控訴人、楊鈿宋、楊美英、楊國雄及び楊武雄と楊忠銀との間に成立した和解契約により、被控訴人は控訴人の代表取締役及び取締役を辞任し、社員権を楊忠銀に全部譲渡して社員でなくなつた旨主張(原判決事実摘示抗弁1)するので、この点について検討する。

1  本件記録によると、控訴人は、昭和五二年一月三一日付答弁書(原審の同日開催の第一回口頭弁論期日で陳述)において、「昭和五〇年八月、原告(被控訴人)から楊忠銀に対し、宇宿町二七番一、宅地一六五・三〇平方メートル(一応原告(被控訴人)所有名義)(前示宇宿の土地)と同地上建物(被告(控訴人)会社所有名義)(前示宇宿の建物)を原告(被控訴人)に引渡せば被告(控訴人)会社と一切の関係を断つとの申入れがあり、楊忠銀もこれを承諾したが、右建物については階下を倉庫・二階を女子従業員宿舎としていたため、ただちに明渡すことができず(なお、建物の所有権の移転、持分の切替え等は税務対策上手続を要する)、階下の一部を明渡すことのみで一時猶予を乞い、右話合いに基づき昭和五〇年一二月取締役等の辞任等の手続をしたものである。」旨主張したのに対し、被控訴人は、昭和五四年一〇月二六日付準備書面(原審の同日開催の第一一回口頭弁論期日で陳述)において、「昭和五〇年八月一四日頃、楊忠銀と社員相互間で甲建物(前示宇宿の建物)を原告(被控訴人)に移転するのと引換えに会社の実権を忠銀に譲る旨の合意が成立した。ところが、忠銀は翌日右約定を一方的に破棄する暴挙に出た。」と主張し、更に、控訴人は、前記答弁書の主張を別紙内容のとおり訂正する旨の昭和五五年六月六日付準備書面を提出したが、右準備書面は原審の口頭弁論期日において陳述されず、昭和五五年八月七日付準備書面(原審の同年八月一一日開催の第一三回口頭弁論期日で陳述)において、「昭和五〇年八月一四日には原告(被控訴人)と忠銀の間に、昭和五五年六月六日付準備書面第(1)項ないし第(3)項記載の契約がなされ、忠銀は、同書面第(4)項記載のとおり右契約を履行した。」と主張したところ、原審裁判所は、右控訴人の主張を原判決事実摘示の抗弁1のとおり摘記し、これに対応して被控訴人は右事実を認めると摘記したこと、当事者双方は当審の昭和五六年一二月一四日開催の第三回口頭弁論期日に原審口頭弁論の結果を原判決事実摘示について陳述したことが認められる。

右認定事実によれば、被控訴人は原判決事実摘示の控訴人の主張にかかる抗弁1の事実を自白したものと認められるところ、被控訴人は、右自白は真実に反し、かつ、錯誤に基づくものであるから、これを撤回し、控訴人は右自白の撤回に異議を述べるので、この点につき判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 前認定一2(七)のとおり被控訴人から控訴人の経営を一任されていた楊忠銀は、昭和四六年頃から、控訴人は自分のものだといつて、被控訴人の出社を嫌い、実印を取り上げて、帳簿類の閲覧を拒否して被控訴人をないがしろにし始め、紛争が続いた。

(二)  昭和五〇年八月一四日被控訴人の末子楊忠平の初盆に当たり、被控訴人の家族が同人宅に集まつたのを機会に、前示(一)のとおりかねてから楊忠銀が被控訴人の存在を無視するなど控訴人の運営をめぐつて右両者間に抗争が絶えなかつたため、これを憂慮した楊武雄の発意により抗争取拾のため、楊鈿宋、同美英、同忠銀、同國雄、同武雄、同忠健、同忠和が出席していわゆる家族会議が開かれたが、右会議に被控訴人を出席させると、話がこじれ、収拾がつかなくなるおそれがあつたので、被控訴人はこれに同席させず、話合いの結果を楊國雄、同武雄から被控訴人に伝えて承諾させることにした。

(三)  右出席者は長時間協議した結果、「(一)被控訴人を控訴人の会長にする。(二)被控訴人が控訴人の代表取締役を辞任するときは退職金を支給する。(三)楊國雄、同武雄は控訴人に対する持分各一〇〇口を楊忠銀に売却し、その代償として忠銀側は宇宿の建物を被控訴人に返還し、脇田屋呉服店本店の控訴人に対する負債を帳消しにする。(四)控訴人において宇宿の土地、建物に設定している担保権を一年以内に消滅させる。」との話合いが右出席者間において概ねまとまつたので(ただし、楊忠健はこれに賛意を表明しなかつた。)、楊武雄が右内容をメモ書きし(甲第二二号証参照)、楊忠銀に認印を求めたところ、楊忠銀は、押印を拒否して帰宅したうえ、翌一八日右協議結果には従えないことを表明し、結局、右協議は成立にいたらないまま被控訴人の同意を求めることもなく不成立に終つた。

以上の事実を認めることができ、<証拠>中この認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原判決事実摘示抗弁1すなわち昭和五〇年八月一四日の和解契約成立に関する自白は真実に反するものというべきであり、右事実と前記認定の原審における被控訴人の主張内容、経緯等を併せ考えると、被控訴人の自白が被控訴人において必ずしも十分に考慮された結果なされたものとは認められず、錯誤に基づくものであると推認するのが相当である。よつて、被控訴人の前記自白の撤回は有効である。

2  これに対し、控訴人は、前同日(昭和五〇年八月一四日)、当時、楊國雄、同武雄と同忠銀との間に配当金等の支払をめぐつて争いがあつたので、右争いを解決するため、被控訴人、楊鈿宋、同國雄、同武雄、同美英と楊忠銀との間に、「(一)被控訴人は控訴人の代表取締役兼取締役を辞任する。(二)被控訴人、楊鈿宋、同國雄、同武雄、同美英は控訴人を退社、もしくは全持分を楊忠銀に譲渡して社員であることをやめる。(三)宇宿の土地、建物を被控訴人に譲渡、引渡す。」旨の前示不成立に終つた解決案よりも楊忠銀に有利な和解契約が成立したと主張し、当審における控訴人代表者本人はこれに符号する供述をし、前示乙第一、第五八号証、第五九号証の一の各記載中にはこれに副う部分があるけれども、右供述及び各記載は前示甲第七、第二二、第二六号証、当審証人楊武雄、同楊忠健の各証言、当審における被控訴本人尋問の結果に照らしにわかに措信し難く、他に右控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。

よつて、原判決事実摘示抗弁1は採用できず、また、右措信しない前示乙第一、第五八号証の各記載及び当審における控訴人代表者本人の供述以外に、被控訴人が、控訴人の代表取締役兼取締役を辞任し、その社員権を楊忠銀に譲渡して社員たる資格を失つたことを認めるに足りる的確な証拠はない。なお、甲第一号証の一の昭和五〇年一二月二〇日付の臨時社員総会議事録には、被控訴人は控訴人の取締役を辞任する旨の意思表示をしたとの記載が、甲第一号証の三の辞任届には、被控訴人は昭和五〇年一二月二〇日付で控訴人の取締役及び代表取締役を辞任する旨の記載がそれぞれあるが、前示甲第六ないし第一〇号証、原審証人楊武雄の証言、当審における被控訴人本人尋問の結果によると、右甲第一号証の一、三は被控訴人の意思に基づいて真正に作成されたものではなく、楊忠銀が被控訴人の辞任登記手続をとるため、同人に無断で作成したものであることが認められ、いずれもその真正な成立が認められないから、民訴法三二五条に照らし適法な証拠とならない。

四そうすると、前記二認定の本件変更登記原因である、被控訴人の取締役及び代表取締役の辞任、昭和五〇年一二月二〇日付の臨時社員総会の楊壽美を取締役に選任するとの決議、同日の取締役会における楊忠銀を代表取締役に選任するとの決議はいずれも不存在であり、被控訴人は、現在なお、控訴人の社員権を有し、控訴人の取締役及び代表取締役の地位にあると認められる。

五控訴人は、被控訴人の本件訴訟提起は権利の濫用であつて許されない旨主張する(原判決事実摘示の抗弁2)ので、この点につき検討する。

被控訴人が楊忠銀に対し控訴人の経営を委任していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、楊忠銀夫婦は、前認定のとおり控訴人の設立以来、その代表取締役である被控訴人から、その経営を委ねられ、控訴人代表取締役である被控訴人の名義を使用して商品卸問屋、銀行等との取引をすること及び従業員を雇傭することなどを委任され、会社の経営一切を取り仕切つてきたこと、控訴人設立後、本件訴訟が提起されるまでの間、会社では社員総会、取締役会が正式に開催されたことがないことが認められるが、本件全証拠によつても、被控訴人が順調な経営を妬み控訴人の経営から楊忠銀を追い出し、控訴人を自己の手中に収めることを目的として本件訴訟を提起したものであるなど、控訴人主張の権利濫用を裏付けるに足る事実を認めることはできず、前示措信しない証拠のほか、これを認めるに足る的確な証拠がない。そして、前示のとおり被控訴人から楊忠銀への持分譲渡もなく、代表取締役及び取締役の辞任の意思表示もないのにその辞任登記、及びそれに伴う楊忠銀を代表取締役に、同人の妻壽美を取締役にそれぞれ選任する選任登記がなされた昭和五〇年一二月二五日から一年を経ずして短時日に本訴が提起されていることに照らすと、楊忠銀夫妻が被控訴人から控訴人の経営を一任されていた場合であつても、役員選任等に関する社員総会決議の不存在確認及び被控訴人の取締役及び代表取締役の地位確認の訴を提起するのは到底、訴権の濫用ないし実体法上の権利の濫用となるものではない(なお、最判昭和五三・七・一〇民集三二巻五号八八八頁との対比参照)。よつて、控訴人の右権利濫用の抗弁は採用できない。

六以上の次第で、被控訴人の本訴請求はいずれもこれを正当として認容すべきであつて、これと結論を同じくする原判決は結局相当である。なお、控訴人は、当審に至り被控訴人補助参加人の参加申出につき異議を述べているが、本件記録によると、控訴人は昭和五五年八月一一日開催の原審第一三回口頭弁論期日において右参加申出については異議がない旨の陳述をしているから、右異議権は既に失われており、右異議申出は失当である。

よつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉川義春 裁判官甲斐 誠 裁判官玉田勝也)

別紙

「(1) 昭和五〇年八月一四日、原告と楊忠銀との間に左記のとおりの申入れがあつた。

(A) 原告は被告会社の取締役および代表取締役をやめる。従つて給料もいらない。

(B) 社員名義人である原告をはじめ、楊忠銀を除く社員名義人全員は名義上の社員でないようにする。

右名義の書替えは決算後、税理士等に相談の上、税金をかからないようにする。

(C) 宇宿町二七番一、宅地一六五・三〇平方メートル(原告名義)と同地上木造セメント瓦葺二階建、店舗兼共同住宅(被告会社名義)を原告の所有とし、原告に引渡し、かつ建物につき所有権移転登記手続をする。

(D) 以上のほか、原告および楊忠銀を除くその余の社員名義人は今後、被告会社および楊忠銀に対し何等の請求をしない。

(2) 右話合の際には原告のほかに楊鈿宋、楊國雄、楊美英等も同席し、原告と同趣旨の申入れをなした。

(3) そこで楊忠銀は右建物を倉庫と女子寮として利用していたことから、他に移転先を見つけるまで引渡の猶予を乞うと共にその間の賃料を支払う旨提案し、原告らもこれを了承し、(1)の(A)(B)(C)(D)の約束ができた。

(4) その後、まもなく原告の要望で移転先も見つからないまま、右建物のうち一階の一部を明け渡し、楊忠健経営の紅陽貿易(但し代表者は原告)の事務所として使用している。」

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